私のうつ最短回復ストーリー
【体験談】My Story
vol.53
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UP

「自責感」にも役割がある

「どうしたら(真に)自分に優しくなれるのかな?」

このところずっと、自分のテーマとしても、周囲の人たちのテーマとしても、あれこれ考えていることです。

このテーマはひっくり返すと、

「どうして私たちは、自分にダメ出しをしてしまいがちなのだろう?」

「過剰な自責感はどうして起きるのだろう?」

「どうして、あるがままの自分をなかなか認められないのだろう?」

ということ。

たとえば感情に関連していえば、怒りすぎてはダメ、クヨクヨしてはダメ、不安がりではダメ、など。時には、人前で喜びすぎてはダメ、ということもありますね。リッパな大人ほど、自制という名のもとに、「ダメな感情を感じる私はダメ」といくつもの自分をおさえ込んでいるわけです。

子どものころ、親から無意識に受け取り続けた「メッセージ」の影響で、自分を抑制していることに気づいてさえいないこともあります(←この話を詳しく知りたい方は「令和時代の子育て戦略」へ)。

災害に遭ったとき、被災直後のファーストショックの症状のひとつとして、「過剰な自責感」もあると聞きました(vol.50)。

この「自責感」。少し意外にも感じたのですが、怒りや不安と同じように「感情」の一つです。そして、この感情の役割を「原始人モード」で考えると、以下のようなことだそうです。

原始人の部族が今、大きな川を渡ろうとしています。

向こう岸に行き着けるか、流されてしまうか…。大河を前に、全く見当がつきませんが、ここに止まっていても生き残れません。イチかバチか、部族全員で川を渡ることにしました。

けれども濁流は容赦なく襲い、多くのものは流されて命を落とし、あるものは大ケガをしながら命からがら向こう岸へ、あるものは全然違う場所に流れ着き仲間とはぐれてしまいました。部族としては壊滅的な「惨事」となってしまったのです。

通信手段を持たない太古の時代です。生き残ったものたちに、仲間の安否も被害の全容を知る手立てはなく、また自分の存在を知らせて合流する方法もありません。原始人たちは、ただちに各自反省して、自分は何が悪かったのか、どうすればよかったのかを考え、次のサバイバルに出ていかなければならなかった…。

そう、それが「自責感」なのです。

個体としても、種としても生きのびるために必要な、命がけの機能だったわけです。

だから、今でも私たちは、惨事(災害だけでなく、個人的なショックやちょっとした出来事でも)の後には、「自責感」にさいなまれてしまう。

「自責感」は、自分にナイフを突き立てるような、かなり苦しい感情です。苦しみが続けばやがて自信を失い、苦しさはさらに深まってしまいます。

でも、このように人に備わった自然な感情の一つだと知っておけば、突き立てた刃の先を少しズラすことができそうな気がしませんか。

そして、「少しズラす」ことができれば、心の急所を外すことはできる。そこから先が大きく変わってくるとも思うのです。

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