
【体験談】My Story
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パワハラの意外な真実
先日「パワハラ」に関する勉強会に出ました。そのとき「うーむ。そういうことか…」と思ったのが、以下のことでした。
・パワハラ案件は、理屈や倫理観だけでは解決しない。
・パワハラを受けた側にとっては、パワハラは「殺されるかもしれない」レベルの恐怖。理屈ではただの一言、普通の指導だったとしても、本人にとっては強烈な恐怖体験。
・パワハラ案件の基本的な対処は、当事者同士を引き離すこと。できれば二度と会わないですむ対処が望ましい。パワハラをした側が近くにいることは、「された側」にとっては「殺し屋が同じビルにいる」くらいの恐怖感。
・パワハラを「した側」も、実は疲労がたまっている。だから「した側」も上手に休ませなくてはいけない。
「パワハラをした側も休ませなくてはいけない」。私が一番驚いたのは、このメカニズムでした。
パワハラ傾向の人は、実は疲れていて、ひそかに「自信」が低下している。感情が沸き立ちやすく、いつもイライラしていたり、怒りっぽかったりします。自信がない分「自分が上だ」と示したいので、一定の人(=反撃されにくい人)を攻撃せずにはいられなくなる。それがパワハラの構造なのです。
パワハラ上司がいたとして、パワハラを根本的にやめさせたいと思ったら、その人の「疲れ」をまず癒さなければならないのですね。
パワハラ案件は理屈や倫理観だけでは解決しない。「された側」の感情面も、「してしまった側」の感情面も両方配慮しなくてはならないのです。
最近テレビのニュースや友人などから聞く話でも、パワハラ案件は増えていると感じます。また、かつて自分が経験したことも、「される側」、そして実は「する側」の要素もあったことを、自戒も込めて思い出します。
自分を含めて「人」を理解したい。「人」を理解して幸せに生きたい。そう思ったら、まずは「感情」というものを知ること。そんなことが腑におちた勉強会でもありました。