私のうつ最短回復ストーリー
【体験談】My Story
vol.21
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先生は何を見ていた?

こうして、私は、リハビリ期のカウンセリングを「卒業」しました。半年で終わったのは、下園先生のキャリアの中で、正真正銘の“最短コース”。体調は、最悪のときに比べて、確かに元気になりました。でも耳のつまりは残存。まれに、ちょっとした不安にさいなまれたり、どうにも疲れやすい感じは残っています。この時点で治った感は全くなし。「こんなので終わり? 私、まだ治ってない気がするんですけど…」というのが、率直な感覚でした。

最後のカウンセリングで、また、この半年間、下園先生とSさんは、プロのカウンセラーとして、私の何を見ていたのでしょうか? 半年以上が経った今、改めて質問してみました。

ー最後のカウンセリングで、下園先生は私の何を見て、「卒業」を判定したんですか?

「(最後の時点で)いろいろな出来事に対しても、過剰に反応しなくなっていました。また、少しずつ意欲が出てきて、自分をコントロールできているという自信を感じ始めていました。そうすると、不安や焦りにあまり左右されなくなります。私が印象深かったのは、ネガティブな思い出を集中的に思い出し、克服したこと。感情ケアプログラムの一つでもある“感情に触れる”を実行し、実社会でもうまく対応しました(注:Vol.12「感情のつかえをとるレッスン」のこと)。あれは、うつが深い人は絶対にできません。あとは、今だから言いますが、少し突き放した部分もあります。うつのリハビリには、いつまでも、復帰する恐怖が付きまといます。ある時背中を押して“もう大丈夫、活動していいよ”と誰かに言われないと、治っているのになかなか社会に出られない。向山さんの能力なら、背中を押して大丈夫という僕の感覚です」

ーこの半年間は、平たく表現すると、私が不安がる→先生が「大丈夫です」と言う。その繰り返しでした。結局のところ、うつ状態というのは、一人で耐えても、放っておいても、疲労が回復すれば「抜けられる」。だけれども、通常は、途中でさまざまな不安が生じるので、結局その不安に蝕まれてエネルギーを消耗してしまうので、治りにくいし、悪化してしまう人も出てくる。だから、適切に伴走してくれるカウンセラーがいると、順調にリハビリ期を抜けられる。この認識はあっていますか?

「まったくその通りだと思います。でも、その単純なことができないのも、これまた普通の、一般的なことなのです。その一番の原因が、本人も周囲も、“問題→解決の努力”のパターンで対応してしまうから。もう一つは、不安と焦りが強く、早く治りたい。すると、“魔法”を求めて行動します。当然休めない。治らない。そうすると不安が強いので、また新たな療法(魔法)を探し求める。でもダメ。そして、いろんなダメを繰り返して、だんだん自信を失う。自信を失うと、余計に不安が強くなる…という悪循環に陥りやすいのです。私がやっていたのは…、何もしていないのではなく(笑)、この悪循環に陥らないように、話を聞き、情報提供し、安心してもらうこと。 “今のままでいい、治っている”という実感を徐々にでも強くしてもらうこと。これが、私のいう“自信ケア”で、悪循環に陥らないための基本なのです」

この半年間は、私が不安がる→先生が大丈夫と言う。その繰り返しだった、とはいいました。実際、下園先生もSさんもいつもニコニコ。おそらく他の人からは、カフェで談笑している3人にしか見えなかったことでしょう。その笑顔に安心しつつも「こっちはこんなに深刻なのに」と内心思うことも一度や二度でなく…(笑)。

ですが、今思い返すほどに、実は緻密に観察され、そのときどきにふさわしい言葉、表現、態度、情報で、絶妙に私は導かれていたのだとわかります。その後、メールでアドバイスを求めることはありましたが、カウンセリングはなし。本当に“卒業”でした。

 

うつ状態の治癒は「梅雨明け宣言」と似ているそうです。「はっきりしないけれど、後から振り返って、あのときがそうでしたね」という感じなのだとか。

5月のある朝。近所をぶらぶらと散策していたら、バラが色とりどりに咲いていました。その薫りの芳しさといったら!  休職したての晩秋は、心細さいっぱいで歩いていた同じ道です。

季節はめぐる。

その力は、たとえ目に見えなくても、たしかにある。

見えざるパワーを実感した、そのときが、私の「梅雨明け」の始まりとなりました。

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