私のうつ最短回復ストーリー
【体験談】My Story
vol.8
10/17
UP

うつを避けられなかったのか?

疲労をため込み、ついにうつ状態に陥ってしまった5年間。けれども、よく考えると、長い通勤も人事異動も、多くの人が経験すること。また震災時のストレスも、直接の被災者の方々に比べれば、例えようもないくらい小さかったはずです。なのに、なぜ私はうつになってしまったのでしょうか。途中で避けられなかったのでしょうか。

下園先生によると、二つのポイントがありました。

一つは「年齢」。私は39歳から43歳になっていました。その年齢が疲労回復のスピードを次第に遅らせていたのです。当然のことながら(?)、本人は年齢のことは過少評価。”いつまでも若いつもり”です(ううう、こう書いててへこみますケド…)。ときにそれはステキなことですが、こと疲労に関しては適正評価をしなくてはいけなかったのです。

2つ目のポイントは「休み方」。ある年齢を過ぎたら、休みは旅行やテーマパーク、飲み会といったハシャギ系ではなく、静かな趣味や過ごし方を心がけること。なぜかというと、ハシャギ系は楽しくても、エネルギーを消耗するから。エネルギーを充電できる過ごし方でしっかり疲れをとる必要があったのです。

そういえば、女性の先輩で、こんな人がいました。「休みの日は顔を絶対洗わない。怠惰を自分に許すことでストレス解消にしているの」。有能で美しい先輩なので、そのギャップに笑ってしまいましたが、理にかなっていたんだな、と思います。

なるほど、と思ったのは、休日は、最初から生活に組み入れなくてはいけなかったということ。自衛隊員は元気なうちに、休みを設定しておくシステムになっているそうです。疲れてくると「休みをとる」という判断が出来なくなるというのがその理由。「疲れたら休む」ではなく「疲れる前に休む」べきでした。

さらに、下園先生によると、「人事異動」直後も要注意ポイントでした。異動は環境の変化であり、エネルギーが動くこと。栄転であれ左遷であれ、異動の前後は慎重に休養をとるべきだそうです。私にとって、本社への異動は通勤時間の短縮を意味していました。身軽になったからと、つい地元イベント立ち上げなどに動き、それは楽しいことでもあったのですが、一方で蓄積疲労の要因になっていたのです。

ただし、こうした休日や休養が有効なのは第2段階まで。

疲労の第2段階までに、一週間くらい何もせずに休養し、心と体のエネルギーを回復させる。それが出来れば、第3段階のうつ状態に陥ることを避けられた可能性は高かった。でも当時の私はもちろん、そんな知識も、自分が疲れている認識もまったくなく、ただ疲労を積み重ねていました。振り返ると、好きな仕事をすることの”アドレナリン”が効いて、疲労を感知するシステムが麻痺していた、とも感じます。

カウンセリングの中で、印象的だった下園先生の言葉があります。「何か出来事があるから、うつ状態になるのではないんですよ。うつだから、同じ出来事もつらく感じる。うつ状態でなかったら、何でもない出来事も多いんです」

世の中には思いがけないショックな出来事をきっかけに、うつになる人もいます。でも、うつになるのは、実は出来事そのものが原因なのではなくて、その出来事によるエネルギーの低下が原因。

何があったか、ではなく、エネルギーはどうなのか。私の場合も、通勤や震災、体制の変化、日々の仕事は、うつの原因そのものではなかったのです。それらによって疲労してエネルギーが低下していたこと。それが原因でした。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る