
【体験談】My Story
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1回目のカウンセリング
11月。渋谷ヒカリエにあるカフェで、私は下園壮太先生と、先生のもとでカウンセラー修業中のSさんに会いました。
休職して約2週間経った時期。とにかく仕事を休めることにようやく一息つきながらも、相変わらずの体調不良。これからどうなるのか、荒天時の船に乗ったような心細さでいっぱいでした。
「大丈夫、大丈夫。あなたの場合は傷が浅いから、きっと半年でうつ状態を抜けられるよ」。下園先生は笑顔で、うつむきがちな私をのぞきこみました。
「半年? でも、勉強会では通常”回復まで1年”っておっしゃっていましたよね…」
「通常は1年なんだけど、あなたの場合は、休職のタイミングがすごく早かったの。大丈夫、うまくいけば最短で抜けられますよ」。パアッと目の前に光が差す言葉でした。そして、私が事前に提出した振り返りをもとに、カウンセリングが始まりました。
下園先生によると、人がうつ状態におちいるとき、疲労が「3段階」で蓄積していくもの。私がたどったプロセスが明らかになりました。
まず、私の”疲労”がたまり始めたのは2011年東日本大震災ごろ。直接的な被害はなかったものの、地震当日家に帰れなかったこと、当時は通勤時間が比較的長く、余震の緊張感がしばらく続いたことが、ひそかに心の負担に。また、この時期編集長だったので、その重責感も常に付きまとっていました。まず、ここで蓄積疲労の「第1段階」に落ちていたのです。
けれどもこの段階は、ある程度休めばすぐ回復する時期。回復と疲労をなんとなく繰り返し、日々は過ぎていきました(当時の私に疲れているという自覚はありません)。
第2段階に陥ったのは、2年後都内の本社に異動した後。通勤時間が短縮して、私はホッとひと息。これ幸いと、プライベートで、地元の友人たちとイベントを立ち上げ、週末もあれこれ活動するようになりました。平日も週末もフルに活動する日々。そんな中、あるとき上司が体調を崩して緊急入院。サブの立場だった私がその間の代理を務めました。急なことで私も部員も動揺。業務的にも精神的にもかなりきついものがありました。なんとかやりこなしているうちに上司は退院。体制が元にもどったことで、そのうちに忘れました。
が、実は、このときに、じわりと疲労が進んで「第2段階」へ。それは、回復のスピードもそれまでの2倍かかることを意味します。それまでは休んで回復していた疲れも、やがて回復しきらないまま、次の仕事の波が来る。そんな悪循環のサイクルに陥り始めていたのです。今思えば、めまいや貧血など、プチ体調不良もひんぱつしていました。
そして、いよいよ「第3段階」。それが部員が一人減って、業務のバランスが変化したタイミング。昨年の夏のことです。コップの水があふれ出るように、心身に積み重なった疲労が堰を切って、ついにうつ状態に陥ったのです。
「自分が考える疲労の線グラフを自分で書いてみて」。先生に言われ、振り返りの下に、第1段階、第2段階、第3段階と落ちていくグラフ線を描きました。
すると、先生はペンを取り上げて、「あなたの疲労グラフは、本当はこうなんですよ」。ラインは、私が描いたグラフ線の下を通って、第3段階の底に向かって落ちました。つまり、自分が思っているより、はるかに根深く疲労が進行していたのです。
「ああ、そうか。自分が思うより、私はずっと疲れていたんだな」。うつ状態に陥った過程がはっきり見えた気がしました。
「蓄積疲労第3段階に陥ったのが8月。でも、休職に入ったのが11月。これ、ほかの多くの人に比べて、本当に早かったんだよ。うつ状態に陥ったのと同じ角度で、回復曲線があがっていくから、ほら、順調にいけば4月には回復できるよ」と、下園先生はニッコリ。Sさんも「桜が咲くころですね。きっと治りますよ」と、大きくうなずきました。窓の外は晩秋の街。春の光景を思い浮かべ、私は泣きたいような気持ちでした。
うつは必ず治ること。今はとにかく、心身を休めること。休職後の身の振り方については、次回、1カ月後まで考えないこと。下園先生とSさんのアドバイスを胸に刻んで、第1回カウンセリングが終わりました。