
【インタビュー】Interview
UP
「頭にラップを巻いた感じ」の疲れがいつもありました
プロフィル
- 名 前 :
- F.Y.さん
- 年 齢 :
- 46歳
- 現在の職業 :
- フリーランス(調査)
- 趣 味 :
- 宝塚鑑賞、自然体験
- メ モ :
- これまで3回の蓄積疲労・うつ状態を経験。1回目は社会人1年目。2回目が第一子出産直後、3回目が東日本大震災および自身の過重労働が重なった40代前半。
—これまで3回、うつ状態の時期があると伺いましたが、初めて体験したのはいつですか?
一番最初は、入社1年目の24歳のとき。入社してすぐ、プロジェクトメンバーに選ばれたんです。社運をかけた新規プロジェクトで。といっても3人チームで、リーダーと中堅社員と、なぜか新人の私。レベル的にはかなり無理がある仕事でした。今振り返ると、ありがたかった面もあるのですが…。毎日、一生懸命終電を目指して仕事を終わらせる、終電にダッシュする、という生活。とにかく忙しくて、ストレスもすごくて、精神的に追いつめられたんですよ。「無理、できない」と思っても、やるしかない状況で、逃げ場がなくて。 「同期に比べて、私、大変だな」とも思ったけれど、社会人はそんなこともあるんだろうなとも思っていました。まあ、正直深く考える余裕もなくて、朝から晩まで、仕事のことだけで頭がフル回転でしたね。
—何か体調に異変が出たのですか?
今から思えば、秋くらいから典型的なうつ症状が出ていましたね。夜寝られない、朝起きて洋服が選べない、お出かけ好きなのに、どこかに行く気にもならない。そもそも忙しかったから、寝られないのも、お出かけできないのも良かったのですが。あ、あと、先々のことを聞かれると、頭が真っ白になることがありました。仕事のことならまだいいのですが、「今後どうしていきたい?」というようなことを聞かれると、「え?」って考えられない。そんな状態が半年くらい続いたかな。でも、当時は知識もないから、それが「うつ状態」だとわからなかったんです。うつ病で辞めた同期もいたのですが、それがどういうものか、当時はよくわからなかった。
2年目になって、部署ごと異動になって、人数も増えたんです。社会人2年目は、1年目とは全然違った感じになりました。そして気付いたら、辛い状態を抜けていたのかな。ある仕事のタイミングで、ふっとラクになった気がします。そのあと、新聞か何かでうつ病の記事を読んで、「あの時って、典型的なうつ状態だったんだな」って気付いたの。「悪化しなくてよかった」とも思いましたね。それと、その記事で「ああ、そうか。ああいう状態になった時は無理しないで、お医者さんに行った方がいいんだな」と知識として、初めて知ったんです。だって知識がないから、当時は洋服選べないのが病気とは思わないですよね。疲れているのかな、くらいで。
—1回目は自然に抜けられたんですね。2回目はいつですか?
そのあと、結婚して一人目を産んだあとに「産後うつ」っぽくなりました。その時はすでに知識があったし、世の中にも「産後うつ」というものが多少広まっていたから、自分でそうかもと思って。それと、前回の経験から「そういう時はお医者さんに行って、お薬をもらえばいいんだ」という知識がありました。それで、すぐお医者さんに行って、薬をもらって、1、2週間くらいでラクになりましたね。
—産後うつの症状は?
子どもを産む直前に引っ越しをしたんだけど、引っ越し、出産、産休と、ライフイベントが重なったんですね。新しい場所で土地勘もないし、これまで実家の近くだったのが親も近くにいなくなってしまった。でも、家は買ってしまったから、そんなに簡単には戻れない。「家を買わなきゃよかったー」って、クヨクヨしてしまって、気分が落ち込んだんです。でも一方で、なんかおかしいな、と思って。職業柄、PMS(月経前症候群)の知識もあって、ホルモンバランスの影響を受けやすいという自覚もあったから、これは典型的な産後うつだと自分でもわかったんです。病院に1回行って、それで終わりました。こんな時は無理をしないで、薬を飲めばよくなるんだという経験ができました。
—3回目はいつですか?
2011年3月の東日本大震災の後です。独立してフリーランスになって5、6年目くらいのときですね。今思うと長年の蓄積疲労が出たと思うのですが、そのころの仕事量がハンパなかった。年度ごとにパソコン内のファイルを分けているのですが、今見ても、よく1年でこんなにやったなっていう、ものすごい仕事量なの。当時はサラリーマンに比べたらラクだなとは思って仕事をしていたのですが、今思うと基準がおかしかったのかも。3番目の子どもも生まれて、子育てもそれなりに忙しくなっていました。でも、保育園に預けていたので、日中は仕事に専念できて、その時は大変とも思っていなかったんですけどね。
うちは、親戚が岩手県にいるんです。実は、震災の前の日に叔父のお葬式があって、たまたま岩手に行っていたの。でも、次の日が保育園の卒園式だから、私たちは帰ってきていました。それで、昨日まで会っていた親戚が被災したんですね。ケータイのメールだけは通じたので、一生懸命励ましたり、「これが足りない」「あれが足りない」というのを調達して送ったり、ということが始まりました。あのころって、こちらは直接の被害はないけれど、なんとなく大変でしたね。岩手の方が大変で、こちらは大丈夫なんだけど気持ちが大変というか。
4月から、一番上の子どもも6年生になって、中学受験を控えていたんです。子どもはお友達と一緒に塾に通わせていたのですが、そのお友達の家も両親が忙しいおうち。うちでご飯を食べさせたりとかしていましたね。
—そうしているうちに変化が起きたんですか?
あれやらなきゃ、これやらなきゃで、体は動いていました。周りに自分よりももっと大変な人がいて、私は会社勤めではないし、わりと自由だからと思って、元気は元気だったんです。でも、ふと気づいたら「それまで好きなことを全くやらなくなった」という状況に陥っていたんです。まず本を読まなくなって、カフェでボーッとするのが好きだったのに、カフェに行く気がなくなって。でも、気分が落ち込んだりとかそういうのはなかったから「疲れているのかな」とか思っていました。 思い出すのは、ちょうどその頃、調子を崩しているお母さん仲間が多かったんですよね。「本、読まななくなったよね」「カフェに行かなくなったよね」「洋服を選べなくなったよね」とかそんな話もしていたな。うつとは言わないまでも、「自律神経が乱れているんだよね」とか「鍼に行ったら良かった」とか、そんな情報交換をよくしていました。
そのうち「あ、これはもしかしたら…」と思ったのは、もともと朝は強いんだけど、朝起きられなくなったんです。頭がいつも酸欠みたいな感じ。貧血とも違うのですが…。ドラマか映画で聞いた表現でそうそう、と思ったのが「頭にラップを巻いた感じ」なんです。
—「頭にラップを巻いた感じ」って面白いですね。
本当にそんな感じで、頭が働かないんですよ。震災の影響で、仕事はほとんど来なかったから幸いだったのですが。朝起きられないし、それまで出来ていたことが出来なくなって。朝ごはんとかも死ぬ思いで作る(笑)。当時はトーストを焼くので精一杯でしたね。料理もこれしてこれしてという段取りとか、無意識にしていたことが簡単に出来なくなってしまったんです。今思い出すのは、家のプリンターが壊れたときのこと。必死の思いで電気屋さんに買いに行き、必死の思いで設置して配線して、大変だったことをよく覚えています。プリンター購入とかって、何が必要か確認したり、比較検討したり、段取りが必要でしょ。今だったら、チャチャッとやってしまうんだけどね。とにかく日常生活が大変で。何だかんだ、そんな時期が2、3年続いたのかなあ。元に戻ったなと思ったのは、3年くらい経った後だと思います。
—その間、病院は行かれたんですか?
病院には行っていました。産後うつのときのように、すぐ復活すると思いきや、このときは根深かったですね。仕事の方も、夏、秋くらいから、ぼちぼち復活しました。お医者さんからは「120%で仕事してきちゃっただろうから、50%以下くらいでするといい」って言われました。でも自分で思う50%以下がどうも感覚がズレているらしくて。自分としては前に比べたら全然減らしていたんだけどね。
—その後どうなりましたか?
産後うつのときと違って、頭にラップを巻いている感じ、日常生活を普通に送れないような感じがズルズルと続いたんですよね。「治らないなあ。一生この体質が続くのかな」って思っていました。あるとき、本は読めなくなっていたんだけど、書評のメルマガで、下園壮太先生の「心の疲れをとる技術」(朝日新書)が紹介されているのを見つけて、これ読みたいと思って、すぐ読みました。そうしたら「そうか。私は疲れているんだから、寝ればいいのか」と、腑に落ちたんです。
—寝る生活に突入したんですか?
それまでも寝ていたのですが、それは眠いから寝ていたんです。でも、その本を読んでからは、「休むために寝るべきなんだ」と気づいて。それと、その本を機に、医者からも元々言われていたんだけど、仕事も休んだ方がいいなと思ったんです。それで、お客さまにも「今年は仕事休みます」って、宣言しました。子どもの中学校のPTA役員にもなって、「ちょうどいいや、今年はこれをやることにしよう」って決めて。負荷がかからない単発の仕事だけを受けて、とにかく1年は「休むのが仕事」と思って、無理をしないで休みました。ライフイベントも負荷がかかるとわかったから、お出かけも控えて、新しいことも始めないと決めて過ごしたの。一気には治らなかったのですが、その1年を休んだら、徐々に気力が戻ってきて、頭のラップも取れてきたんです。
—今、何か気をつけていることとかありますか?
今は元に戻ったから、特に何も気をつけていないかな(笑)。こういう脳疲労って体験しないと、想像できないですよね。自分のことでも、過ぎてしまった今は思い出せないんですから。あ、あと、低気圧とか台風とかが来ると、「頭にラップ感」が強くなっていました。すごく辛かった。あの頃は気圧の変化に、すごい影響を受けていましたね。
多分、更年期とか、ホルモンバランスの乱れの影響もあった気がします。それを私は少し早く経験したと思うのですが、今「疲れが取れない」と話している友人がすごく多い。「疲れていて、気分転換に出かけても気持ちが晴れない」という友人には、「旅行とかしないで、寝ていればいいよ」って話しています。逆に言えば、休めばいいんだから。エネルギーが切れているだけなんだから、休めば戻るんですよ。もちろん、休んでも戻らないときは、また別のことが必要かもしれませんが…。
—3度のうつ状態を経験して思うことは何ですか?
人間って気力が大事なんだな、目に見えない気力があるとないとでこんなに違うのね、って思います。今はあのころ普通にできなかった料理も、再び普通にできるようになったし、頭も回転するし、良かった、良かったって。「普通出来ることを、普通に出来るのは助かるなあ」って思っています。
回復のオトモ
「ツレがうつになりまして。」(細川 貂々、幻冬舎文庫)
本がなかなか読めない時期でしたが、漫画なら読みやすいし、一つの作品としても面白かった。サラリーマンが過労がたまるとこうなるんだな、というのもよくわかりますよ。